メッセージ2022年 春号(20225)

 

   岸辺の朝食

                                                                                     牧師 山村諭

こうして彼らが陸地に上がると,そこには炭火 がおこされていて,その上には

魚があり,またパンがあるのが見えた。               ヨハネの福音書219

 

主はよみがえられた!

  復活の主イエスは湖の岸辺で弟子たちのために朝食の準備をして迎えてくださいました。

主イエスご自身が炭火をおこして,魚を焼いて, 岸辺のバーベキューを備えてくださった

のです。 静かな朝日の中で何とも言えない喜びが弟子たちを包んでいます。

 

炭火はあの夜も燃えていた

 でもペテロにとって「炭火」は,心の痛む悲しい記憶を呼び起こすものであったはずです。

あの夜,逮捕された主イエスが大祭司の庭で尋問を受けている時,ペテロは人々に紛れて

「炭火」を囲んで暖を取っていたのです。

  炭火の薄暗い明かりの中で「あなたも,あの人の弟子ではないでしょうね」と言われ「違う」

「弟子ではない」と言ってしまったのです。

「炭火」を囲む人々の中で,ペテロはイエスを三度否定したのです。岸辺の朝食の場面は,

あの夜の挫折の場面と「炭火」で結びついているのです。

復活の主イエスは,炭火の記憶を新しい出来事に塗り替えてくださったのです。

 

暗やみの炭火から朝の炭火へ

 弟子たちはその朝,主イエスの言葉に従って網を投げたところ驚くほどの大漁を経験しま

した。張り裂けんばかりの網を上げて魚を数えると153匹もの大きな魚が捕れていました。

主イエスは,獲れたての魚を何匹か持ってくるように言われ,炭火で焼いて一緒に食べよう

というのです。魚が焼けると「さあ,朝の食事をしなさい」と主イエスが言われ,パンを取り,

弟子たちに与え,魚も同じようにお与えになりました。炭火を囲む岸辺の朝食は,悲しい記憶

を癒やし,生ける主との喜びの記憶を生み出す交わりとなりました。

暗やみの炭火ではなく,朝日の中の炭火で,ペテロをはじめ弟子たちは,主イエスのお取り

扱いを経験したのです。

 

主の配慮と養いの中で

死の力を打ち破り,いのちの支配をもたらしてくださった主イエスは,挫折をいやし,立ち

上がらせ,回復をもたらすために,岸辺の朝食を備えてくださいました。主の配慮と養いの中

で,人は新しく歩み出すことができるのです。

このイースターに𠮷見瑠威兄の洗礼式が行われ大きな喜びを経験しました。かつては分から

なかった主の愛が,今は心に迫ってきます。主に受け止められている安心感の中で,神の赦し

を経験し,新しく歩み出すことができました。 主の配慮と養いの中で,私たちは,信仰から信

 

仰へと歩ませていただけるのです。祝福がありますように。

 

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メッセージ 2022年 冬号(20221)

 

主が始められた良い働きは

 牧師 山村諭    

あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。       

                         ピリピ人への手紙1章5-6節

 

 

 神の御心を固く信じて

 2017年4月に私が茅ヶ崎同盟教会牧師に就任した際,月報に記したのがピリピ1章6節の御言葉でした。その時には『創立50年史』を読んだ感想と就任時の決意をこう記しました。

「時代状況の変化に応じて宣教の使命を担うために,力を尽くして来られた歴史を知りました。・・・あらゆる活動を『福音のために』という動機で歩む・・・宣教的教会が,これからも福音を聴き続け,福音に生き,福音を受け渡して,これからも仕え続けるために,私も力を尽くしたい」と。

 就任から5年を経て,改めてピリピ1章5-6節の御言葉を示されています。

 2021年の教会総会において,私たちは「会堂の建替えをおこなう」ことを決議しました。これまでの議論と現状の確認をした上で,将来についての最善の計画を求めた結果,「会堂建替え」こそが神の御心と確信して一致し,新会堂建築に向けて歩み始めました。

 

伝道とは教会が存立しつづけること

 会堂建築という一大プロジェクトを前に,足がすくむ思いもありますが,神は,臆病の霊ではなく,力と愛と慎みの霊を与えてくださっています。老朽化の現実はこれ以上,先延ばしにはできない状況です。福音のために取り組むべき課題として,今私たちに示されていることに力を尽くしていきましょう。

 デューク大学のウィリモン教授は伝道を次のように定義しています。

 「伝道とは,新しいメンバーを募集するために教会がこの世に出て行くことではない。・・・伝道とは,人々の救いのために,神によって任じられた手段として,教会が存立しつづけることである」 (W.ウィリモン)

「教会=会堂」ではないとしても,教会が存立しつづけることが伝道であるならば,老朽化した会堂を立て替えるという働きも,伝道のわざであると言う事ができます。

 

主が始められた良い働きは

この地に始められた良き働きを,神さまは完成へと導こうとしておられます。私たちは神の良き働きの実りであり,また神の良き働きを共に担う者たちでもあります。

 クリスマスにはお二人の受洗者が与えられ,大きな喜びを経験しました。神の救いにあずかるこの大いなる喜びを,さらに多くの方にお届けし,共有する交わりを築き上げていきたいと願います。このための業として,今,会堂の建替えに取り組むのだという決意を新たにさせていただきましょう。

 

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メッセージ 2021年 初夏号(20215)

 

ともに働いて益となるために

                                      牧師 山村諭

神を愛する人たち,すなわち,神のご計画に従って召された

人たちのためには,すべてのことがともに働いて益となるこ

  とを,私たちは知っています。    ローマ人への手紙8章28節 

 

                    2021年度年間主題聖句として                  

 2月の教会総会において上記のロマ書の御言葉を年間主題聖句として掲げこのように解説を記しました。「愛する神は,私たちとともに働いて,すべてが益となるように計らってくださいます。コロナ禍の世界の苦しみを神ご自身もともに苦しみ,ことばにならないうめきをもって執り成していてくださいます。この神が私たちの味方です。神とともに働く者として「交わり(コイノニア)と愛のわざ(ディアコニア)に励み,この地に神の国の祝福をもたらすために」仕えて参りましょう」。                                          

  ローマ8章28節の御言葉は,「神さまが最終的には良きに計らってくださるから大丈夫だ」ということ以上のことを語っています。28節に用いられている「ともに働く」という動詞は,「だれかとともに働く」という意味の言葉です。                                                                                          

 それゆえ28節はこのように訳すこともできます。「神は,すべてにおいて益となるように,神を愛する 人々とともにお働きになる」。神だけが人と無関係に働くのではなく,弟子たちだ けが働くのでもなく,神は人とともに 働いてご自身の 御業を行われるのです。                            

 

神さま任せの責任放棄ではなく

   神さまが何とかしてくださるから大丈夫。この信頼は大切です。しかしそれは,今起きている事柄に無頓着でよいということにはなりません。「悪いこと・悲惨なこと」に覆いを掛けて,神さまが何とかしてくださるというなら,御言葉を生きることになりません。 自分たちを単なる受益者の立場において,神が益をもたらすことを期待するのは,神さま任せの責任放棄です。主の御言葉は,私たちを傍観者にしようとはさせません。「よいことのために,ともに働こう」と,神は私たち一人一人をともに働く当事者として招いておられます。 

 

神の御心を確信して人事を尽くす歩みを

 私たちは教会総会において「会堂の建替えをおこなう」ことを決議しました。これまでの会堂に関する取 り組みを振り返り,現状を認識した上で,将来像につ いての最善の計画を求めた結果として導かれた「会堂の建替え」です。ここに神の御心があると信じて,新 会堂建築に向かっての第 一歩を踏み出しました。                                     

 コロナ禍の今に大きな事業に乗り出す不安はあります。慎重でありたいとも思います。でもこの計画は神ご自身から出たものであると確信します。この地で福音の拠点として私たちの教会が使命を果たし続けるために,今,神が私たちに示してくださった大きな働きです。それゆえ私たちは,このことのために「天命を信じて人事を尽くす」歩みをしたいと願います。                                     

   神は,ご自身の目的・ご計画のために,私たちとともにお働きになる方です。ともに教会の交わりを建て上げ,この地に神の祝福をもたらすために,神とともに私たちも主の業に仕えて参りましょう。

 

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メッセージ 2020年_冬号(202012)

 

 but He was sleepingマタイの福音書8章24節)     

 

                           牧師 山村諭 

すると見よ。湖は大荒れとなり,舟は大波をかぶった。ところがイエスは眠っておられた。 (マタイの福音書8章24節)

     

イエスさまは眠っておられた

 この秋に絵を買いました。牧師室に飾っています。作者は,ホンダマモル氏。高校時代からの信仰の友で,同盟教団の牧師でもあった彼は,今,アーティストとして活動しています。年に2回,個展を開いています。この絵に心が動かされ,慰めを与えられました。

 

 彼の作品には「ストーリー」がつけられていて,このようなことばが添えられています。

イエスさまは舟の上

大風と荒波のなかで眠っておられた

そしてことばひとつで 嵐を静めてしまった

これはもう

この方のそばにいれば

なにがあっても大丈夫ということだ

 

 コロナ禍の2020年,世界中が大風と荒波に翻弄されています。あらゆる所で,共に集うこと,共に食すること,共に歌うことが制限され,学校も職場も急激な変化の中にあります。教会もこれまで通りには活動できない状況です。何よりも共に集まること,共に歌い,共に主の聖餐に与ることを大切にしてきた私たち教会にとって,今は試練の時です。教会の交わりがバラバラになってしまうかのような思いにもなりました。

 大荒れの湖に浮かぶ小舟は,今にも転覆しそうに思えます。しかしイエスさまは,その舟の上で眠っておられるのです。大風も荒波もイエスさまの安眠を妨げる恐怖や不安とはならないのです。

 必死に舟を操ろうとする弟子たちは,荒波に翻弄されながら,「主よ,助けてください。私たちは死んでしまいます」と叫びました。私たちにも弟子たちと同じ叫びがあるかもしれません。

 

ことばひとつで嵐を静めてしまった

 しかし主は「どうして怖がるのか」と言われ,起き上がると,風と湖を叱りつけ,嵐を静めてしまいました。弟子たちには手に負えないことでしたが,神である御子イエスに不可能はありません。天地を造られた神は,今のこの時も治めておられます。

 

この方のそばにいれば大丈夫

 イエスさまが,荒波に翻弄される私たちと共におられます。この方は「インマヌエル」(神が私たちとともにおられる)という名前で呼ばれるお方です。どのような時にも神がともにいてくださるのです。「この方のそばにいれば なにがあっても大丈夫」。大丈夫なのです。忍耐の時は続きますが,この方のそばにいれば大丈夫です。主の祝福がありますように。                        

 

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メッセージ 2020年_夏号(20208)

 

要の石となったキリストこそ,私たちの平和

 牧師 山村諭   

イエスは彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちが捨てた石、

それが要の石となった』と書いてあるのは、どういうことなのですか。 

 ルカの福音書20章17節   

 

ぶどう園の農夫のたとえ

 エルサレムに入城し,宮きよめを行って神殿を「占拠した」主イエスは,宮で毎日福音を宣べ伝えました。

白分たちの場所を奪われたと感じた祭司長や律法学者たちは,イエスを排除しようと狙っていました。そのような緊張感の中で「ぶどう園の農夫のたとえ」は語られました。

 主人は農夫たちにぶどう園を貸して長い旅に出ました。収穫の時になってその利益を納めさせようとしもべを遣わしましたが,農夫たちはそのしもべを打ちたたき,傷を負わせて追い返したのです。何度もしもべを送りましたが,その度にしもべは痛めつけられ追い返されました。ついに主人は「愛する息子」をぶどう園に遣わしますが,農夫たちは息子を殺してしまったという話です。

 このたとえ話を聞いていた人々は「そんなことが起こってはなりません」と反応しました。主人の思いが踏みにじられ,暴力と殺人が繰り返されることに抗議したのです。

 

家を建てる者たちが捨てた石が要の石に

 人々のこの反応に対して,主イエスは冒頭の御言葉を語りました。「『家を建てる者たちが捨てた石,それが要の石となった』と書いてある」。すでに聖書は「そんなことが起こる」ことを語っているのではないかという問いかけです。家を建てる者たちが,要らないといって石を捨てることが起こる。そこにイエスの十字架が示唆されています。さらにその石が要の石となることはイエスの復活と高挙,救い主としての統治を示唆しています。要の石によって,人はしっかりと組み合わされて,神さまに向かって建て上げられていくのです。

 

この要の石こそ,私たちの平和

 イエス殺しを企む祭司長や律法学者たちは,農夫たちの姿に自分たちが重ねられていることに気づきました。「そんなこと」を起こそうとしている自分たちであることを示されたのですが,それで晦い改めるはしませんでした。自分たちの理解に留まり,神の問いかけを拒み,イエスを十字架に捨てることになるのです。

 この捨てられた石が要の石となりました。この石であるキリストが,あらゆる敵意を取り除いて,互いに組み合わされ,共に建て上げられる関係を私たちの世界にもたらしたのです。

 使徒パウロはエペソの教会にこう書き送りました。

 「実に,キリストこそ私たちの平和です。キリストは・・・ご自分の肉において,隔ての壁である敵意を打ち壊し・・・平和を実現し・・・。あなたがたは・・・使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて,キリスト・イエスご自身がその要の石です。このキリストにあって,建物の全体が組み合わされて成長し,主にある聖なる宮となります」(エペソ2:14-21)

 憎しみ,怒り,争いが蔓延し,様々な壁が築かれている世界です。すべての者が大切にされ,ともに築き上げられる関係をもたらす要の石こそ,この世界にまことの平和をもたらす救い主です。平和を求めて祈りましょう。

 


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