教会便り

◆茅ヶ崎同盟教会たより  2025年10月

 

 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐を持って、走り続けようではありませんか.。        ヘブル人への手紙12:1

 

 

9月に行われた世界陸上のハードルの選手が「何がいけなかったのだろうか」と嗚咽してインタビューに答えていました。彼は昨年のパリ五輪で5位になり、東京の世界陸上ではメダルも期待されていました。この一年間、厳しい練習に明け暮れ、メダルを目指して大変に辛い日々を過ごされてきたのでしょう。できる限りのことはやった最高の状態で臨んだのですが5位でした。「何がいけなかったのだろう」それほどに頑張ってゴールを目指した選手の努力と忍耐を知り、心の内で拍手しました。

 

私たちは与えられた人生の走り場をいかに走ったらよいでしょうか。パウロはピリピ書(3:13,14)で「うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださると言う、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」と述べています。私たちも信仰の創始者であり完成者である主イエスから、目を離なさず、其々に与えられた自分の道をひと足ひと足、主の御手に守られ、支えていただき、主をたからかに賛美しつつ走って行きましょう。(走れない私はゆっくり歩いていきます)

               伝道師 川島正子

 

◆茅ヶ崎同盟教会たより 2025年7月

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あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。ペテロの手紙第一 57

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 心にあることを「話す」というのは,実は「ゆだねる」ことでもあります。誰にも話せない思いを抱えていると,心は重くなります。でも,話せたとき,少しだけ心が軽くなる経験をしたことはありませんか。

聖書は「思い煩いを,いっさい神にゆだねなさい」と語ります。神に話すこと,それが祈りです。祈りは立派なことばを並べる必要はありません。飾らず,取り繕わず,そのままの心で「神さま,心配なのです」「神さま,助けてください」とつぶやいてみる。それだけでも神は耳を傾けてくださいます。

ゆだねることは,神に逃れることでもあります。逃げ場のない思いを,そのまま抱えてはいませんか。神はあなたが逃れてよい方。安心してゆだねることのできるお方です。祈りは,神との出会いのとき。静かに目を閉じ,神のまなざしに心を向けてみる。そのとき,見えないけれども確かな慰めが,ふと訪れることがあります。

教会は,そのような神との出会いを大切にしています。祈る場所があること,人に言えないことを神だけに話せる場があること。それは人生にとって大きな慰めです。どうぞ,教会の扉を開いてみてください。あなたを心配してくださる神が,ここにおられます。

祝福がありますように!              牧師 山村 諭