◆茅ヶ崎同盟教会たより 2026年5月
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そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人
のために、王たちと高い地位にあるすべての人の
ために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。
新約聖書 テモテへの手紙第一2章1節
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新緑のまぶしい季節となりました。教会では今月ペンテコステを迎えます。復活されたイエスの約束通り,聖霊が弟子たちに注がれ,教会が世界へ遣わされていった出来事を覚え
る日で「教会の誕生日」とも言われます。
聖霊が降ったとき,人々はそれぞれ自分の国のことばで神のことばを聞きました。そこには,民族や言語を越えて,人を活かそうとする神の御心が現れていました。教会は最初か
ら「世界のために祈る共同体」として始まったのです。世界では争いや分断が拡がり,不安が増しています。身近なとろこにも,孤独や寂しさを抱えながら暮らしている人が
います。パウロは「すべての人のために」とりわけ「王たちと高い地位にある人のために願い,祈り,とりなし,感謝せよ」と勧めました。それは「平安で落ち着いた生活を送るため」(第1テモテ2:2)なのです。政治や経済のために祈りが必要です。それが苦しむ人のための祈りになる。平和のため,地域のため,次世代のための祈りになる。私たちはそう信じて祈ります。
教会は完全な人が集まる場所ではなく,共に祈り,支え合
いながら歩む場所です。祈りは礼拝堂の中だけにとどまらず,
この町と世界の平和や希望を願うところへ拡がっていきます。
祝福がありますように! 牧師 山村 諭
◆茅ヶ崎同盟教会たより 2025年10月
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐を持って、走り続けようではありませんか.。 ヘブル人への手紙12:1
9月に行われた世界陸上のハードルの選手が「何がいけなかったのだろうか」と嗚咽してインタビューに答えていました。彼は昨年のパリ五輪で5位になり、東京の世界陸上ではメダルも期待されていました。この一年間、厳しい練習に明け暮れ、メダルを目指して大変に辛い日々を過ごされてきたのでしょう。できる限りのことはやった最高の状態で臨んだのですが5位でした。「何がいけなかったのだろう」それほどに頑張ってゴールを目指した選手の努力と忍耐を知り、心の内で拍手しました。
私たちは与えられた人生の走り場をいかに走ったらよいでしょうか。パウロはピリピ書(3:13,14)で「うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださると言う、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」と述べています。私たちも信仰の創始者であり完成者である主イエスから、目を離なさず、其々に与えられた自分の道をひと足ひと足、主の御手に守られ、支えていただき、主をたからかに賛美しつつ走って行きましょう。(走れない私はゆっくり歩いていきます)
伝道師 川島正子
◆茅ヶ崎同盟教会たより 2025年7月
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あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。ペテロの手紙第一 5章7節
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心にあることを「話す」というのは,実は「ゆだねる」ことでもあります。誰にも話せない思いを抱えていると,心は重くなります。でも,話せたとき,少しだけ心が軽くなる経験をしたことはありませんか。
聖書は「思い煩いを,いっさい神にゆだねなさい」と語ります。神に話すこと,それが祈りです。祈りは立派なことばを並べる必要はありません。飾らず,取り繕わず,そのままの心で「神さま,心配なのです」「神さま,助けてください」とつぶやいてみる。それだけでも神は耳を傾けてくださいます。
ゆだねることは,神に逃れることでもあります。逃げ場のない思いを,そのまま抱えてはいませんか。神はあなたが逃れてよい方。安心してゆだねることのできるお方です。祈りは,神との出会いのとき。静かに目を閉じ,神のまなざしに心を向けてみる。そのとき,見えないけれども確かな慰めが,ふと訪れることがあります。
教会は,そのような神との出会いを大切にしています。祈る場所があること,人に言えないことを神だけに話せる場があること。それは人生にとって大きな慰めです。どうぞ,教会の扉を開いてみてください。あなたを心配してくださる神が,ここにおられます。
祝福がありますように! 牧師 山村 諭
